新任のジャスティン・アウケマ先生の自己紹介です

左がポープ先生、右がアウケマ先生です

私の地元はアメリカのミネソタ州にあるレッド・ウイングという、人口2万人ぐらいのとても小さな田舎町です。さすが広い大地の田舎、という感じですが、日本についての情報はもちろん、外の世界についての情報を手に入れることはなかなか難しいものでした。しかし幼い頃から私に影響を与えたのは、両親の平和主義でした。これによって、例えばイラク戦争が2003年に始まった時、私は戦争全体に対して非常に大きな嫌悪感を感じた上、メディアの報道に対して大きな疑問を抱きました。これを受けて、当時高校生だった私は米空爆の下に苦しんでいるイラクの一般市民を一切報道しないアメリカのメディアを批判した記事を町の新聞に投稿しました。

これらの問題意識を持ち、ウィスコンシン大学オークレア校に入学しました。当時、自分の将来について迷っていた私に多大な影響を与えたのは、日本史入門の授業でした。授業では、第二次世界大戦の日本の一般市民の手記や戦争体験を読んでおり、その中で東京大空襲で家族を失った一人の話が胸に刺さりました。私の頭の中ではテレビで報道していたイラク戦争の空爆のイメージがそれと重なり、深い悲しみと怒りを感じました。そして「アメリカは未だに同じことをやっているんだなー」「未だに無差別爆撃をやっているんだなー」と思いました。その時、私は近現代日本史を専攻することに決めました。

2008年に私は日本へ来て千葉県の県立高校で英語を教えていましたが、しばらくすると再び大学で日本史の研究をするということへの強い関心が湧きました。そのため、私は2010年に上智大学の修士過程に入り、東京大空襲の歴史を研究テーマにしました。とりわけ私は、文学作品における空襲の表象を探求する過程において、東京大空襲の体験者である早乙女勝元の小説に焦点を当てることにしました。その研究を行っている間に様々な気づきがありましたが、まず早乙女さんは、何故ノンフィクションだけではなく小説という形で空襲を描くのかという問いに対する答えを見つけずには通れない問題だと感じました。私の視点から答えるとそれは二つの理由を指摘することが出来たのですが、一つ目は自分の心理を比喩的な形で探ることにより、自分のトラウマや痛ましい記憶に向き合えることができるからということです。二つ目は、小説は読者に共感しやすいメディアのため、より鮮明に空襲の追体験をすることができ、またより細かく空襲の記憶を次世代へ継承することができるためということです。かくして私は、記憶継承の方法だけではなく、戦争を批判する手法として小説の可能性や独特な力を新たに再確認することができました。

2015年に上智大学の博士課程へ進学したことを機に、新たな研究テーマを掲げました。それまでと同様第二次世界大戦の歴史的記憶に関わるわけですが、今度は日本に所在する戦争遺跡(略:戦跡)を探求することを決意しました。「小説」と「遺跡」の関係は何かと言うと、どちらも戦争記憶の継承を媒介するメディアやモノであるということです。またその観点から考えると、私の今度の学術的な問いは、戦後、戦跡における歴史的記憶がどのように変遷してきたかということです。そのため、私は2015年に主に国会図書館のアーカイブを利用し、20世紀における「戦跡」に関する言説の歴史的変動を探ってきました。また2016年から2017年の間、沖縄県と神奈川県において戦跡の現場調査、及び地方の資料館やアーカイブで資料収集と分析を行ってきました。その結果、戦跡における歴史的記憶は「忘却する」と「記憶化する」という両面性を持つ、常に変遷し続けているものであることを確認することができました。また同時に、その過程は戦跡の現場だけではなく、戦跡にまつわる言説の中にをも行われるものであると明らかにすることができました。私は、言説が戦跡に対して引き起こす物理的変化を「(非)記憶化する文化」と呼ぶことにしています。

この度、京都女子大学現代社会学部で働かせて頂くことになり、とても嬉しく思っておりますし、大変感謝にしております。不安な点もありますが、私は教えることそして研究することが大好きですので、私は少しでも学校と学生のために役に立つことができたら何よりだと考えています。またこんなに素晴らしい先生方に囲まれているのは、とてもラッキーだと思い、未熟な私にとっては是非色々と学ばせて頂けたら幸いだと思っています。皆さま、心から宜しくお願い致します。