もっとも,このうち最初の二つの文章は著者もテーマも異なるのに, どういうわけかカビ落しの話しで結ばれている。
カビが生えたところに粉せっけんを振りかけ,お湯をかけながらゴシゴシこすれば, たいていのカビは落ちる。ぜひ一度試していただきたい。(渡辺・p.89)
ちなみに,カビはブラシに粉せっけんをつけてこすればよく落ちる。(船瀬・p.101)二つめの記事は,カビキラーではなくてキッチンハイターを取り上げているのに, カビの落し方を教えておしまいとなっているわけだ。ひとつの記事を2人で書いてから, むりやり記事を分けたのか?腑に落ちないはなしだが, 書き飛ばしで作った本にはありがちなことだ。ちなみに,次亜塩素酸系漂白・殺菌剤 をカビ落しに使う人はあまりいないだろう。 食器の殺菌や染み落しにふつう使われているものだ。
さて,本論に移ろう。
89年,東京弁護士会の「カビ取り剤110番」には「意識不明で倒れた」などの 被害届が26件も殺到。「年寄りなどは文字が見えにくい。一目でわかる注意書きが あれば‥‥」,残された遺族の嘆きである。「ハイター自身が,きわめて猛毒液体なのだ」と ガスの危険以外にも問題があると書いておきながら, 「有毒気体がたちこめるからだ。」まではハイターから出るガスの危険性である。 話しの論理的なつながりはどうなっているのだろうか? 漫然と書かれたいいかげんな文章である。
メーカーは慌てて「混ぜるな,危険」表示を始めた。現在のキッチンハイターには 「まぜるな危険」と大き目表示。それなら,混ぜなければ安全か。まったく, そうではない。ハイター自身が,きわめて猛毒液体なのだ。
「つくば110番」には,キッチンハイターで「気管支障害,咳にみまわれた」, 「嗅覚がマヒ」「気持ちが悪い」「胸が苦しい」などの 被害の訴えが寄せられている。 有毒気体がたちこめるからだ。
「塩素系漂白剤が顔にかかりヌルヌルとなり,水で洗ってもとれず顔半分が茶褐色に なっていた」と息を飲むような被害も。 強アルカリなのでヒフにつくとみるみる溶けていく。“化学火傷”と呼ばれる症状だ。
目に入ると失明し,うっかり飲むと食道に穴があく。この塩素系漂白剤を飲んだ自殺例もある。解剖すると食道は真っ赤にただれ,胃や腸は大量に出血していた。 (中略)
このような危険物を,家庭用品として,一般に販売すること自体が, まちがいなのだ。 ちなみに,カビはブラシに粉せっけんをつけてこすればよく落ちる。 (p.101)
そのあと,塩素発生どころではなくて,
そもそもこれらの製品が強アルカリ性であることが問題であるというわけだが,
実は濃いめのアンモニア水や炭酸ナトリウム水溶液程度のアルカリでも,
皮膚のぬるぬるは発生する。
このぬるぬるはすなわち,表皮の蛋白がアルカリで加水分解される
ことによるものであり,これがアルカリの害の本質である。
この現象は,再生可能な部分の皮膚に対してなら,程度がひどくなければ
それほど危険ではない。私自身なんども水酸化ナトリウムを直接手で触ったり
している。
しかし,眼に対しては,皮膚がぬるぬるする程度のアルカリは,
眼のレンズの非常に精巧な保護膜である角膜を曇らせてしまうから,
視力を損なう可能性があり大変危険である
実際,酸素系漂白剤も炭酸ナトリウム程度のアルカリ性であるので,
目に入れば角膜損傷の危険性がある。煮沸した重曹水でも同様だ。
たき火の灰を水に溶かしても,
実はかなり強いアルカリ性になることは,サラセン文化以来の人類の知識である。
基本的にナトリウムイオンやカルシウムイオンを含む物質を灰に焼くことは,
強いアルカリを作ることになる。
また上の引用では, 自殺に使われたことをもって危険視しているわけだが, それでは電気コードや包丁や車や都市ガスのほうがはるかに危険ということになるだろう。自殺の手段となった道具の話しを持ち出すことじたい, 著者の主張の説得力の乏しさを証明しているのである。
さて,本文のこまかしい批判はとりあえずおいて,危険と生活という問題を 考えてみよう。著者は 「このような危険物を,家庭用品として,一般に販売すること自体が, まちがいなのだ。」と,危険物の一掃を説いている。だが, 危険物を家庭用品のリストから完全になくしてしまえという主張は, はなはだ近視眼的なものである。家庭からたとえば刃物や火気を一掃すればわれわれの 生活は安全にはなるだろうが,おそろしく味気ない献立や, メーカーお仕着せの出来合いの製品で生活していかなければならなくなるのは 間違いない。化学物質(実は「化学物質」でない物質など存在しないのだが)とて, それらを使い分ける知恵をもつことが必要なのであって, 安全というやつに抱え込まれるようにして安心感の中で生きるような状態は, 人の生きる力を殺いでしまう。
有害なもの,無害なもの,危険なもの,安全なもの,そもそもわれわれの 日常世界にはそういう雑多なものが満ちあふれているのだ。そして有害なものも 危険なものも,上手に使えば有益なものであるからこそ必要とされる。危険だから排除 しろという単純な発想は,われわれの文化や生活を貧しくし, 一方で管理過剰の不自由な体制をもたらすものである。