「京都女子大学通信」寄稿「パソコンについて」
第6回「情報社会と著作権(2)」
平成16年10月28日
京都女子大学現代社会学部 水野義之
著作権は分かりにくく、複雑な権利です。しかし著作権を知らないでは済まない時代になりました。例えば友人の電子メールに良い話が書いてあり、誰かに転送したいと思った時、あなたはどうしますか。それはまずメールを書いた人に、転送の了解をもらわないといけません。なぜなら電子メールにも著作権が発生しているからです。ネットワーク時代とは、誰もが著作者(著作権者)になる時代であり、誰もがネット上の著作物を無意識に利用する時代です。コンピュータによるデータのディジタル処理と情報通信ネットワークの発達が、社会を変えつつあります。著作権のことも皆が理解しないといけない、そんな時代になりました。今日はそんな身近になった著作権の内容について、改めて少し調べてみましょう。
現在の著作権法の元になっているのは1886年のベルヌ条約です。ベルヌBerneとはスイスの首都ベルンBernのことです。ベルン州の旗は熊の絵だったので、熊(英語でbear、スイス北部はドイツ語圏なのでベールBar)をとってベルンと呼ばれます。そのベルンで当時のフランスの作家、V.ユーゴーらが中心になって制定されたのが最初のベルヌ条約でした。日本がこれに加盟したのは1899年(明治32年)。これは明治憲法が出来て10年目のことで、当時の不平等条約改正の努力の一環だったとされます。
ベルヌ条約は正式名を "Berne Convention for the Protection of Literary and Artistic Works" 「文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約」と呼びます。Conventionとは習慣とか、協定、申し合わせという意味です。著作権のことを、英語では単にcopyright(コピーの権利)と言います。しかしフランス語ではdroit d'auteur(著作者 = "auteur" = authorの権利)といって、「権利」の中味の複雑さを予感させます。実際に複雑です。
著作権とは、ひとことで言うと、「自分で工夫して書いたものは、自分でどうこう出来る権利」ということです。従って「他人は勝手に(自分の許可なく)どうもこうも出来ない」と言える権利です。例えば、メールは書いた本人の許可なく転送できない(やめろと言える権利はその人にある)、引用では勝手に内容を書き換えてはいけない、書いたものは無断で金儲けに使うなと言える権利は本人だけが持つ、などです。
著作権は、それを書いた人(作った人)が何もしなくても、ただ書いただけで(自然に)発生していると考えます。こういう権利を、無方式主義の権利といいます。
著作権は、著作者の生存期間中+死後も50年間、保護されます(何も申請しなくてもそうなります)。これは例えば親子孫の3世代に亘って、先代が書いたものは大事にされ、必要ならそれで収入を得る権利が続く、という習慣を成文化したものとも言えます。
著作権という言葉は、実は3つの異なる意味で使われます。まず広義の著作権。これは著作権法といった時の著作権で、その内実は、実は多くの異なる権利の総称です。これはまず2種類に分類されます。1つは著作者の権利である著作権。もう一つは著作物を伝達する人(演奏者など)の権利である著作隣接権です。
さらにこの(2番目の)著作権には、実は2種類あって、一つは著作者の持つ人格権で、勝手に内容を改変されない権利など。2つ目は狭義の著作権で、これは財産権、つまり自分の書いたもので利益を得る権利(他人は勝手に利益を得られないと言える権利)です。
広義の著作権は、ご存知のように特許権や商標権、意匠権等と合わせて、知的財産権と総称されます。ややこしいですね。これらの関係を図に書くと次のようになります。
著作隣接権にも人格権と財産権があります。それは当然で、演奏者にも、その精神的利益を守る権利(例えば勝手に演奏内容を変更されない権利など)があります。またぞれで生活できる権利(物質的利益を守る財産権)もあります。
著作権の人格権にも財産権にも、より細かい個別具体的な「権利」が数多くあります。例えば人格権の中には、勝手に内容を改変されない権利(同一性保持権)、勝手に名前を書き換えられない権利(氏名表示権)、自分に無断ではそれを公開されない権利(公表権)などがあります。また財産権の中には、自分に無断ではコピーを作れない権利(複製権)、例えば自分のメールを勝手にWeb公開されない権利(公衆送信権)、などがあります。財産権の中にはさらに上演権、展示権などがあります。これらは国によって対応が異なっていて、事情はさらに複雑です。
著作権のことがわからなくなったら、こう考えればわかります。それは、「もし著作者に無断でxxをしたら、その本人がいやだと思うようなこと」は、勝手にしてはいけない、了解を得ないといけない。しかし、その本人に了解を得てオッケーであれば、構わない。だめだと言われればしてはいけない。それを決められるのは本人(著作者)だけだ。ということです。例を挙げます。
例1)ある人が、ある市販ソフトを自分のホームページに無断で載せ、無償で自由にダウンロードできる状態にしていた場合。これは元のソフトを作った人の公衆送信権を侵害したことになります。無償かつ非営利だから許される、とはなりません。なぜならネットに載せるかどうかを決める権利(公衆送信権)は、著作者にしかないからです。
例2)ある音楽コンサートを録音して制作されたCDをある放送局が放送し、それを自分が録音した時。これを自分で楽しむならオッケー、家族が楽しむのも許される範囲です。しかしそれを販売したら、その曲の作曲家からも、演奏者からも、CD制作会社からも、放送局からも、訴えられる可能性があります。この場合、それぞれの人が持つ著作権の中の財産権の侵害です。著作権は誰かだけの権利ではなく、複数が重なって働きます。
この例のように、著作権を考える時は、その情報伝達で誰が怒り出すか、「勝手にそんなことをするな」と誰が言うだろう、と考えれば分かりやすいと思います。
そもそも著作物とは何か。それは、1)「思想または感情を」表現したもの。データは除かれます。2)思想/感情を「表現したもの」。アイデアだけでは保護されません。3)思想/感情を「創作的に」表現したもの。他人の作品の模倣も除外されます。また工業製品も除かれます。とにかく、誰かが知的エネルギーを使って苦労して書いたオリジナル、それは社会文化の一部であり、そのような情報発信を著作物と呼んで大事にしよう、またみんなでそれを使って文化を楽しもう、というわけでした。
著作権のうち、財産権は他人に譲渡できます。しかし著作者の人格権は他の誰にも譲渡できません。本人が希望しても人格権は放棄できません(法律でそう決まっています)。実際、それを書いた苦労を分かっているのは本人だけでしょう。また作品を不当に傷付けられた場合に最も不快を感ずるのも本人でしょう。
例を挙げます。時々、風景写真のホームページで著作権フリーと書いてあることがあります。これは著作権のうち財産権を私は放棄する、と言っています。しかしそれ(例えば写真)を勝手に加工は出来ません。なぜなら人格権は放棄できないからです(従って、著作権の人格権の中の同一性保持権は残ったままです)。だからもし、その写真を加工したければ、やはり元の著作者(その写真を撮った人)に了解を得ないと出来ません。逆に、もし了解が得られれば、書き換えも加工も出来ます。もちろん例外もあります(後述)。
こういったルールの束が著作権法でした。ですから個々の例を挙げていくと、著作権は非常に複雑かつ多岐に亘ります。しかし著作権の考え方の基本は、その情報を作り出した人の気持ちを尊重しよう、ということで理解できます。それが複雑になる理由はいくつかあって、まず著作者とその情報利用者は利益が本質的に矛盾しているためにルール化と契約・了解がないと運用できないこと、情報技術の変化に依存して著作物の具体例も多様化していること、またネットワーク化に伴って著作権に関係する人の数が(ごく最近)膨大に増加してしまったこと、まだその状況に十分対応できていないこと、そのため新たな例外も多岐に亘ること、もともと文化的に差異があった諸国の経済問題や国家戦略(例えばアメリカの保護主義的傾向)あるいは利害も絡みその交渉や調整も困難なこと、等が原因となっているようです。ですから逆に非常に新しい国際問題とも言えます。
著作権の及ばない例外
著作権にも例外があります。著作権とは「それはやめてくれ」と言える権利ですから、その例外とは「使うのをやめてくれとは言えないケース」です。もちろんどんな場合でも著作者人格権は尊重せねばなりませんが。
著作権の例外には、まず「正当な引用」があります。これは例えば学生の皆さんがレポートを書く時に、資料を引用する場合などです。「正当な引用」には条件があって、1)資料の引用文はわかるように「」(括弧)等でくくること、また引用文を書き換えないこと、2)自分で書いたレポートの分量の方が引用文より長いこと、3)引用の必然性があること(目的外には使わない)、4)出典の明記。この4条件が必要です。逆にこれだけを留意してあれば、堂々と引用すればいいです。
著作権の及ばない例外の第2は、いわゆる私的利用です。これは家族内の程度までとされます(著作権法の条文にそう書いてあります)。
例外の第3は、学校での利用です。例えば教科書への掲載、試験問題での作品利用、授業や演習で教師・学生が使うプリントでの記事転載、授業で見せるビデオ、衛星利用の遠隔授業で著作物コピーの送信、インターネット試験での問題送信などは例外となりました。ただし、例えばもとの本が売れなくなるほどの大量コピーは相変わらず出来ませんが。
このような学校での例外措置は、2004年1月から新たに始まった著作権法改正の動きの一環であり、例外措置拡大の一例です。WIPO(世界知的財産権機関)でのベルヌ条約改正(1996年12月)に伴う日本の著作権法改正(1998年1月)に引き続き、なぜ最近になって再度の法改正がされたのか。それは日本の著作権法が実は世界で最も進んでしまったからです。例えばインターネット対応で著作者側に不利にならないように、諸外国に先駆けて先進的な権利保護(公衆送信権、送信可能化権など)を法令に規定したため、その揺り戻しの時期にあるからではないでしょうか。
さてこれからの時代、著作権をどんな制度にすればいいのか。多様で複雑な権利関係の中で、制度や仕組みや契約、慣習を今後どうすれば、著作者も情報創造に励みを(インセンティブを)感じ、なおかつ、情報利用者もハッピーなのか。インターネットやパソコンの利用者は、誰もがそんな問題に直面し、また自分の意見を持つことが必要な時代になってきたように思えます。
今回は教科書の解説のようになってしまいましたが、これを機会に皆さんも何か、著作権に関する読み物を手にされてはどうでしょう。ホームページでは、国の文化庁のWebページ、著作権情報センター(CRIC)のWebページがお勧めです。本としては『著作権の考え方』(岩波新書、2003年12月)を勧めます。